題名

痛みをめぐる医療における「主観」と「客観」

特集1
痛みを伝える
コラム
01
所属
慶應義塾大学 看護医療学部 看護学科 教授
氏名
杉本 なおみ

 「膝の痛みがちっともよくならないから、別の病院に行ってみたのだけれど、そのお医者さん、話の途中からだんだん不機嫌になって…」
 こんな時、患者は医師に嫌われたと思いがちです。しかし実際のところ、「医師の浮かない顔」の裏には、それ以外のさまざまな負の感情が渦巻いています。1完治の期待に応えられないことへの申し訳なさ、求められるままに痛み止めを処方することの葛藤、そして何よりも、患者の訴えを完全には理解できないことのもどかしさ…。
 患者がそれに気付かず、医師は単に自分のことが嫌いなのだと解釈すると、そこから関係がこじれることがあります。仮病を疑われたと思えば、そうでないことを分かってもらおうと躍起になるかも知れません。これを防ぐには、はじめから心因を探るような質問ばかりをするのではなく、患者との関係が確立するまで待つ方がよい1とされています。そしてこのような配慮を含めた「共感的な関わり」こそ、痛みをめぐる医療に不可欠とされています。1,2,3

 しかし現実には、このような「共感的な関わり」をどのようにして推進するのかという課題が残ります。医学生や研修医に対し、ただ「患者には共感的に接しなさい」とお題目を唱えたところで実効性は薄いでしょう。また、上辺だけ取り繕って「共感的」に接しても、患者はその嘘を見抜きます。やはり、多少なりとも「理解」を伴う「共感」でなければ意味がないのです。
 ところが、痛みは「客観的な数値で表すことができず、個人的かつ主観的な体験である」4と言われています。その強さを示す尺度も多数開発されてきましたが5、今のところ、痛みの強さを個人内で相対化することはできても、個人間での比較や客観化には至っていません。

 これはすなわち、「主観」を「客観」に置き換えようとする試みの限界を示しているとも考えられます。それならばいっそのこと反対に、「主観」は「主観」のまま、痛みという感覚の個別性を手がかりとして実態に迫ってみたらどうなるのでしょう。つまり、痛みに関する訴えを、数値や他人の言葉に置き換えるのではなく、患者さん自身が発したことばそのままに、一つ一つ丁寧にすくい上げるのです。ことばは、それを使う人の内面を映し出す鏡です。表現の分布を知るだけでも、人々が痛みをどのように感じ、区別しているのかということの理解に一歩近づけるかも知れません。

 

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